毎日新聞「とうほく彩発見」執筆記事
平成18年5月~平成22年10月(全35回) 執筆:出川真也(単著)
35「東北の農山漁村の未来づくりに寄せて」
2010年10月27日掲載を加筆修正
【概要】
東北地方の農山漁村の地域づくりに取り組んで、地元と外部者がいわば土と風の役割を演じながら生業と文化を紡いできたということに改めて気づかされた。里を舞台にかかわる当事者は地元であれ外部であるとにかかわらず農山漁村づくりの相互に補完し合うパートナーであるという点で大切な要素であることを論じる。筆者の3年に渡る「とうほく彩発見」連載の最終回。
34「農山漁村における環境教育の可能性を考える」
2010年9月7日を加筆修正
【概要】
東北環境教育ミーティングが山形県で開催された。環境教育に携わる人々は実に多様である。この多様性を生かして、現代社会に必要なミッションを遂行していくために大切なこととは何なのか。プログラムの実施とそれを支える地域固有の思想と哲学。実際の取り組みの中で考えた視点を再確認する。
33「集落とネットワークから地域づくりの可能性を考える」
2010年7月21日掲載を加筆修正
【概要】
農山漁村の地域づくりでは、集落内部の調整だけではなく、外といかにつなぐということが重要視される。その意味でコーディネーターやファシリテータの機能が重要である。外に開きつながる機能を視点に持つことが、よその地域の事情にも想像力を働かせることが出来るかどうかが大切になるのではないだろうか。
32 「最上川河畔から新たな地域創造の期待」
2010年6月20日掲載を加筆修正
【概要】
流域連携による里づくりの活動は地域集落に多様な影響をもたらそうとしている。学校の閉校など地域の活力が低下していると危惧されていた地域においても、自ら動き他とつながることで、新たな力を生み出すことが可能であるということが垣間見られる。最上川河畔の村清川を事例としたレポート。
31「舟からの目線で里を眺める」
2010年4月21日掲載を加筆修正
【概要】
最上川伝統の「笹舟(石船)」を運用するようになった里の自然文化共育研究所では、最上川の上流大石田から下流の酒田市の河口までをエリアにした舟での活動を開始した。川面から岸辺を眺めた時、川と集落・人々の成り立ちとつながりについてもう一度再考することになる。大石田〜清川間を往復した際の出来事、見たことを綴る。
30「里の子育てから若手世代の生き方を考える」
2010年3月10日掲載を加筆修正
【概要】
農山漁村で、意識的に自然や文化に触れて体験することは、子ども達にとって大きな育ちの糧となるのではないだろうか。それは実は子ども達よりも子ども達の親、若手世代にとって重要な意味を持つのである。
29「郷土の歩みから未来を学ぶということ」
2010年1月19日掲載を加筆修正
【概要】
各集落にはそれぞれその成り立ちの物語がある。これまでの歩みの中で幾度も困難を乗り越えて来た歴史があり、そこに学ぶことで今を再考し未来を考えるためのヒントを見つけ出すことが出来る。しな織りの里関川と明治初期士族達が開墾した松ヶ岡でのワークショップのレポート。
28「最上川の舟大工と川漁師」
2009年11月25日掲載を加筆修正
【概要】
最上川流域伝統の川舟を作る舟大工と舟を運用して川漁を行う川漁師たち。最上川河畔の暮らしの知恵と技術を、実際に取り組みながら学ぶことの意味を再考する。
27「里づくりはプロセスそのものが宝物」
2009年9月30日掲載を加筆修正
【概要】
農山漁村の日々の作業や日常の所作はその一つ一つが価値ある技術や知恵の結晶である。それらの意味や意義を外部者にも分かる形で表現することで、新たな地域づくりの可能性をもたらしうる。里づくり活動のプロセス自体に価値があり、それは目線が異なる地元住民と外部者のギャップを逆手に取った意識的な協働の取り組みの中で引き出されてくる。
26「農山漁村の元気を作り出す若者と地域との交流と学び」
2009年8月4日掲載を加筆修正
【概要】
農山漁村における地元住民と若者との交流と学習は、地域づくりに新たな活力を与える可能性がある。多様なニーズを持った学生が農山漁村での出会いに関心を寄せているのは、農山漁村の自然と暮らし自体に潜在的能力が宿っていることを意味しているといえる。これを生かせるかどうかは、今後の地域づくりや担い手育成にも関係してくることであり今後の動向が期待される。
25「地域の元気を作り出す新たな「知」の連携協働の模索」
2009年6月24日掲載を加筆修正
【概要】
山形県内においても最上川を題材に農山漁村と連携しようとする大学の活動が活発化しようとしている。従来の研究者・学生による一方的なフィールドワークの利用の場ではなく、地域住民や学外からかかわる様々な人々と共創する学となること、そして現実の地域づくりにつながることが今後ますます求められていく。そのための「知」のあり方が模索される。
24「森と渓流から「ムラの成り立ちの物語」を考える」
2009年5月13日掲載を加筆修正
【概要】
春先、集落の上流部の森や渓流を歩いていると、燃料と水という観点での基本的な自然的条件からムラ(地域集落)の「成り立ちの物語」に思いいたすことになる。なぜ、どうしてこの地に居住することを選んだのか?先人の知恵と工夫を見直すことが里づくりの一歩につながる。
23「最上川から発信する暮らし再生の可能性」
2009年3月25日掲載を加筆修正
【概要】
これまで戸沢村角川地区という一農山村で取り組んできた里づくり活動は、さらに流域を連携した取り組みへと育ちつつある。流域の多様な農山漁村がつながり、具体的なミッションに取り組むことで、それぞれの地域の特性を生かした地域づくりの展開が見込めるのではないだろうか?そのことがより多くの主体がより魅力的な農山漁村づくりにかかわれるスペースを確保することにつながるのではないかと考える。
22「里山再生活動が創りだす新たな山村コミュニケーション」
2009年1月28日掲載を加筆修正
【概要】
里山の保全再生活動は多様な影響をもたらす。山村地域の潜在能力を引き出すきっかけだけではなく、地域内、地域外、異業種間などにおいて新たなコミュニケーションを生み出し、新たな産業や暮らしを生み出す契機になりうるのである。
21「里の暮らしに残る物語-伝承とその現代的再生-」
2008年12月3日掲載を加筆修正
【概要】
里地里山のムラには独自の成り立ちの物語がある。なぜ一軒に一本は必ず柿の木が植わっているのか、なぜ里山には様々な樹齢の木が植わっているのか、なぜ立派な縄がなわれて土蔵にしまわれているのか。元々の意味を探り、その過去の経験を今に結びつけることが地域づくりに新たな魅力と展開をもたらす。
20「里の異文化交流の可能性-をプラスに転換するきっかけづくり-」
2008年10月22日掲載を加筆修正
【概要】
里地里山地域の住民にとって、その地に根ざした自然的文化的特性は必ずしもメリットとして感じられないものかもしれない。むしろ不便さばかりを意識してしまうこともしばしばだ。しかし、外部の異なる文化的背景を持った人々との交流は、マイナス面ばかりが目立っていた地域の特徴がむしろ価値ある魅力的な物なのかもしれないということに気がつく契機となる。地域のマイナス面をむしろプラス面に転換して取り組んでいける可能性がここにはある。
19「ムラの国際交流と地域再発見-里人の多様な潜在能力の気づき-」
2008年9月3日掲載を加筆修正
【概要】
戸沢村角川地区に韓国青少年連盟の子ども達が2回にわたって訪れた。異文化の子ども達との交流は地域に大きな影響を与える。重要なのは、外国が異なるということではなく、自分たちの持つ価値や地域内の多様性が再発見されることである。活動をきっかけに地域に住む海外出身のお嫁さんなどそれまで地域では埋もれていた人材との新たなコミュニケーションが始まり、ムラの潜在能力の新たな活用につながろうとしている。
18「地元に学ぶ里づくりの広がりと楽しみ」
2008年7月16日掲載を加筆修正
【概要】
戸沢村角川地区からさらに周辺にエリアを広げて取り組みを始めると、地元に学ぶ地元学の視点の重要性を再認識する。地域に根ざした価値が日常の暮らしに埋め込まれて息づいている。ここでは、地元の方々の話に良く耳を傾け学ぶという姿勢が大切になる。また再発見の契機となる外部者との交流も重要な要素である。
17「森里川海交流による環境保全と地域づくり」
2008年6月3日掲載を加筆修正
【概要】
渓流を愛する者にとって、川の環境保全は大変重要だ。しかし、川は海と、そして森ともつながっており、川がつないでいるそれぞれの地域に住む人々との連携協働がその保全のための必須条件となる。NPO法人里の自然文化共育研究所では、森里川海の協働連携のための第一歩として農山漁村の住民相互の交流と学習活動に取り組み始めた。
16「里暮らしの足元を見直すこと」
【2008年4月9日掲載を加筆修正】
【概要】
地元学の提唱者、水俣の吉本哲郎氏を招いて行った研修会では、自分たちの足下を見つめ直すことが大切だと改めて感じる。そして、目的意識を持って自分たちのこととして調べるという地元学の自立的で謙虚な姿勢を改めて再認識させられる。
15「冬の郷土料理とまたぎ探訪-里の自然・文化・暮らし-」
2008年2月20日掲載を加筆修正
【概要】
戸沢村角川地区は豪雪地帯。雪国の冬は厳しいが一方で楽しくにぎやかな独特の風物詩がある。例年の大雪に見舞われた山里の郷土料理とまたぎ猟について筆者の体験をレポートする。
14「地域作りにマニュアルはない-「自分再発見」の大切さ-」
2008年1月9日掲載を加筆修正
【概要】
地域の多様性を最も感じるのが里地里山というフィールドであり、その地に根ざした人々の生活世界である。一概に地域づくりのマニュアルを求めることが出来ない。たとえ行政や科学がそれを求めても、達成することは出来ないだろう。その地域のそれぞれにあったやりかたを自分たち自身で発見していくしかないのである。
13「国を越えてつながる里づくり」
2007年11月20日掲載を加筆修正
【概要】
稿を書いている早朝、明るくなってみると角川の代表的な山である高倉山が初冠雪を迎えた。高倉山に3回雪が降ると里にも雪が降ってくると言われている。積雪3メートルにもなる角川の里ではこの時期、村人達は雪が降る前の冬篭りの準備で大忙しである。 こんな寒い折、アフリカの国から23名の教員が2泊3日の日程で研修に角川の里を訪れた。ベナン、ブルキナファソ、コートジボアール、ルワンダといったまさに赤道直下の国々の人々だ。昨日、初日のプログラムが終わったところだが、里の人々との交流が深まる光景を目の当たりにすることができた。
12「多様な主体が参画する新たな里づくりへ」
2007年10月9日掲載を加筆修正
【概要】
里の住民の多様な営みを真の力として引き出すには、住民だけでなくより多くの主体との連携協力が必要不可欠だ。昨今のさまざまな活動を見ていると農林分野や教育分野をはじめ多くの分野で行政や企業や民間団体等との連携が重要視されている。また、当該地域の住民と外部の住民との連携のあり方も注目されている。過疎少子化が進む里地里山地域にあって、地域維持のためにも住民だけでは補えない部分に対する新たな協働が求められているからであろう。しかしこうした求めは必ずしもそうしたマイナス面だけが動機となっているわけではない。近年、都市社会の問題が浮き彫りになる中で、もう一度里地里山を見直し価値を再発見しながら、新たな形で回帰していこうとするよりポジティブな志向性も強く働いているのだ。 こうした現状を考えると今後の里地里山地域は、行政、企業、民間団体、学術研究機関など多くの主体や、都市部や他の里地里山地域なども視野に入れたより広域的なエリアを見据えた連携の形がますます重要となってくることだろう。ここから見えてくるのは、里の住民と他の主体や地域とをつなぐコーディネーターやファシリテーター、そして地域全体を見据えながら里の地域作りのデザインを行うプランナーの需要が高まっているということだろう。
11「里の食育活動の意義−人本来の営みを取り戻すために−」
2007年8月29日掲載を加筆修正
【概要】
昨今の食をめぐるトラブルはまったく目に余るものがある。偽装、農薬、添加物など食の安全と安心の根幹がゆすぶられている。こうした問題は環境と健康の問題、そして何より未来を担う子どもたちに対して禍根を残すものとなるのは一目瞭然だろう。だが、そうした本当に大切なことから目を背け、こうした問題が次々と起こってしまうというのは、なんと人間はおろかなのだろう。これも過度の商業主義がもたらす弊害なのだろうか。食べ物の生産地である農山村に住んでいるとその思いは複雑になるばかりである・・・。
10「青少年による里づくり活動の展望」
2007年7月11日掲載を加筆修正
【概要】
角川における里の自然や文化を活かした取り組みは、地元のおじいちゃんやおばあちゃん、おじちゃんやおばちゃんたちによる手作りで行われている。だが、これらの活動の最終目標は、子ども達や若者達に、里の智恵や技術を伝承し、それを活かして彼らが地域で暮らしていけるような環境や産業を育成していくということにある。つまり青少年たちに向けた活動なのだ。だから、角川の里では活動が始まった当初から多くの青少年たちが参加者として、あるいはサポートスタッフとしてかかわってきた。 戸沢村には高校がない。中学校を卒業すると子ども達は近隣の都市部の高校へ進学する。その後、さらに遠方の専門学校や大学へ行ってしまうというのが通例だ。子ども達は徐々に地域から遠ざかっていく。しかし、活動を始めて5年目の今年、この動きに少し変化が見られるようになった。
9「農山村の教育効果と地域づくり」
2007年5月29日掲載を加筆修正
【概要】
角川の里で仙台の中学2年生の1泊2日や2泊3日までの体験旅行の受け入れが行われた。全部で5校の受け入れを行い10日間にわたって続けて角川の里で体験学習をしたわけである。角川では地元の小中学校と連携した体験学習は常日頃行われているわけだが、都市部の中学校の体験学習の受け入れとなれば普段の活動とはやはり異なるところが出てくる。
8「山と海をつなぐ里づくりの可能性」
2007年4月3日掲載を加筆修正
【概要】
山村と海辺の集落を接続していこうとする試みは、新たな地域作りの展望を開いてくれる可能性を有している。新たな産品開発、ツーリズム開発、学習カリキュラム作りなど、ちょっと考えただけでもいくつも具体案が出そうだ。だからこそこの活動には従来のような山村と海辺の当事者の住民だけでは不十分だ。せっかくのネットワーク作りに都市住民、企業、学術研究機関、もちろん行政もかかわっていくことが求められる。こうした新しい要素を受け入れる度量を持てるかどうか、地元民の器量も試されていると言えるだろう。 山と海をつなぐ取り組みは、豊かな環境や文化を再生させ、人々の心の交流の再生にもつながっていくのではないか。
7「里の「人間多様性」と地域づくりの可能性」
2007年2月27日掲載を加筆修正
【概要】
山形県内陸北部に位置する角川の里は、東北の雪国の典型的な農山村と言える。その豊かで多様な自然環境は、長い年月をかけて里の人々が手をかけ、つくりあげてきた「自然」だ。 集落を取り巻く里山は湧水地が手入れをされ、ため池が数多く作られ、それらを連絡する数多くの水路が棚田や里の集落へと接続している。これは先人がそこに住まうための「インフラ整備」として行ったものだ。その結果形成された多様な水辺にはサンショウウオをはじめとする多様な生物が生息している・・・。
6「薪ストーブを囲んで育む交流と地域計画」
2007年1月17日掲載を加筆修正
【概要】
厳しい自然条件とは裏腹に、こうした環境によって里の人々に温かな生活文化が育まれていることは確かだ。角川の里は周囲を山に囲まれていることもあり、冬は薪ストーブを使っている家が多い。薪ストーブを囲んでの団欒は一種のコミュニケーション文化を育んでいると言えよう。
5「ワカモノ交流が巻き起こす地域再発見と学び」
2006年11月28日掲載を加筆修正
【概要】
10月のある日、山形の奥深い山村である角川の里に、大学生の若者達が30名ほども集まってきた。集落の中心にある集会場で地元のお母さん達が作る郷土料理で腹ごしらえ。そしてナタ、ノコギリ、スコップを持ち、ヘルメット、軍手、長靴を装着して外に出る・・・。
4「里の変化が警告するもの−環境変容と里人の感性−」
2006年10月17日掲載を加筆修正
【概要】
農村集落、特に中山間地域の自然と隣接しているような集落の人々は、その集落を維持し継続して運営していくためにも自然や生態系に対して常に鋭敏な感覚を持っている。自然への「実践知」ともいうべき独特な知的伝統を持っているのだ。このような極めて小さい単位の地域集落における知恵や技術、自然への感性が、実は大きな地球規模の環境、生態系の見方へとつながるためのヒントとなるかもしれない。
3「ムラの夏祭り」
2006年9月6日掲載を加筆修正
【概要】
山形県の内陸山間地にある角川の里は8月に入ってから猛暑が続いた。農家の人々は暑さに辟易しながらも、冷害のないことを喜び、稲の生育が順調なことに安堵感を覚えている。 そんな暑い盛りのお盆の頃、角川の里では豊作を祈願する夏祭りが14の集落ごとに行われる。8月14日から19日まで毎晩どこかの集落(ムラ)でお祭りをしているというにぎやかさである。今回はムラの夏祭りの中で、初めから終わりまで参加したある集落のお祭りを紹介してみたい。
2「広域連携による新たな「結い」の試み」
2006年7月19日掲載を加筆修正
【概要】
先日、山形県内でふるさと体験活動を推進している諸団体のネットワークを形成していこうという会合に出席した。いや、実に様々な活動があるのだと驚いた。森林ボランティアをしている団体、川の環境保全をしている団体、郷土料理による食育を推進している団体、はたまた民話や歴史の伝承活動に力を入れている団体など、地域に根付いた取り組みが各地にあることを知った。 ただ、残念なことに、こうした活動が狭い地域内のみにしか知られておらず、交流や連携があまりなかった。そのため、過疎・少子高齢化、地域経済低迷といった課題を抱える地域では活動が維持できなかったり、マンネリ化したりするなどの問題があった。また、これらの団体が、自分達の領域以外の他団体の活動に関心を向けにくかったということもあるだろう。
1「日本の原風景、里で学ぶということ」
2006年5月31日掲載を加筆修正
【概要】
大学で教育学を専攻する筆者が、環境教育や社会教育のフィールドワークを行う中で、戸沢村教委の学校と地域の連携を掲げた「地域の学校作り」の活動に関心を持ったのが「入村」するきっかけだった。しかしそうした理由だけでなく、思いがけずに長期の滞在になったのは、この地の自然の豊かさに魅力を感じたということもあるが、実はそれだけではない・・・。